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2017年8月20日日曜日

フランス・アルザス地方マーレンハイム「友人フリッツ」の婚礼祭り Le festival du Mariage de L'ami Fritz à Marlenheim, Alsace 2017

聖母被昇天祭で祝日の2017年8月15日(火)、
19世紀半ばの農村の結婚式を再現した
Marlenheim(マーレンハイム)の
「アミフリッツ(友人フリッツの結婚式)」
のお祭りに初めて行って来ました!

1973年から続く毎年恒例の夏祭りです👰🤵
アミフリッツは小説→オペラになっていて、
日本の大名行列の農家版みたいなお祭り。




実はこのお祭りのことは、
NHKちきゅうラジオの「教えて!ちきゅう特派員」の
「世界夏のお祭り・イベント」というコーナー
8月6日(日)にお話ししたことがあって、

もちろんラジオでは私は見たことないのですが・・と正直に話しましたが、
話しておいて見たことないのもなぁと思っていたので、
ちょうど行きたかったお祭り。

今回タイミング良く行くことが出来て良かったです。

Marlenheim(マーレンハイム)は、
ストラスブールから西に約21kmほど行った、
南北に延びるアルザスワイン街道の北の玄関口に位置している村です。

ストラスブールからは Bus Ligne 230で約25分で到着。

お祭りはJour férié(祝日)に行われるので、
バスの時刻表を見るときは「DF」の時刻を参考にして下さい。

「D」はDimanche(ディモンシュ)で日曜日のこと、
「F」がFérié(フェリエ)祝日。
乗り場ですが、ストラスブール駅前からか、
郊外行きバスの発着乗り場がある
Les Halle(レアール)ショッピングセンターの裏から230番のバスが出ています

以前、ブログに書いた
ミシュラン一つ星レストラン兼四つ星ホテルの
Le Cerf(ル・セルフ)も市庁舎へ向かう写真の通り沿いにあります。

マーレンハイムのMairieメリ(市庁舎)

市庁舎の脇の道を入って行った教会の前の広場がお祭りのメイン会場。
前日の14日は前夜祭で夜に花火が行われます。

写真だと天気が悪く見えますが、この日は31℃の猛暑日でした☀️

屋台がたくさん出ているので、お昼を食べるのには困りません。
民芸品を売るお店も出ていました。

アルザスならではのソーセージや
タルトフランベ
(ベーコン、玉ねぎ、サワークリームが乗ったアルザス名物の薄焼きピザ
も食べれます。
チキンの丸焼きなどお肉系も。


まだお祭りは始まってませんが、
いきなりのFritz(フリッツ)さん登場!

ここで、少し「友人フリッツ」についての説明ですが、
原題「L'ami Fritz(ラミ フリッツ)」という1864年に発表された小説のタイトルで、
1891年にピエトロ・マスカーニによりオペラになっています。

舞台は北アルザス、
独身主義者の農場主フリッツが、
最後には村娘のSûzel(スゼル)と結婚するとゆうストーリー

自分は絶対結婚しないので、
もしも結婚することがあったら自分のブドウ園をくれてやるとまで
友人のラビ(ユダヤ教の宗教的指導者)、
David(ダヴィッド)に豪語していたのですが、
結婚することになりブドウ園をDavidに譲る。。

とゆう、「フリッツの独身最後の瞬間」まで
見学するお祭りとなっています。
冒頭でも書きましたが、
日本の大名行列の、
農村の普通の人々の結婚式バージョンみたいなお祭りです。


アルザス地方のホテルやレストランでは、
「L'ami Fritz(アミフリッツ)」と
この小説から名前を取って付けているところが結構あります。

実は、60年代にもオべルネという別のアルザスワイン街道沿いの村で、
友人フリッツの婚礼祭りは3-4回行われたのですが、
なぜかその後続かずに、
73年になってマーレンハイムが行ったものは今現在まで続いているという。

ちなみに、小説からいくとフリッツは40歳ぐらいで、
スゼルは20歳ぐらいとゆう設定です。
なんとこのフリッツとスゼル役のお二人、
2011年からペアを組んで演じているのですが、
去年ほんとうに結婚されたそう!

婚礼祭りが縁になったんでしょうけど(?)
本物の結婚式を運んできてくれたんですね!

Sûzel(スゼル)さんもアルザスの民族衣装を着てご両親と登場!
(本当のご両親なのかは不明・・)

ただし、小説の舞台になっている北アルザスの村
とゆうのは実際はマーレンハイムではなく、
アルザスとドイツの国境辺りの農村の話で、
現在はドイツになっている村も含まれています。

リースリングやミュスカなど、
アルザスワインの試飲ができるコーナーもありました
ピノグリは2種類あったので、
「秋のピノグリ」なるものをチョイス。

一杯2€~2.50€で、
なぜか私は4.50€と言われ、
最初は意味が分からなかったのですが、
グラスを返したら2€Cash Backでした


🎷さていよいよ時刻は正午12:00。
教会の前で村の音楽隊によるコンサートの始まりです。

後ろから見た様子。

続いて13時頃、
民族衣装をまとったグループによる
Danse folklorique(フォルクロリックダンス)

アルザスの民族衣装はブルターニュ地方と並び、
フランス国内でもとても有名です。
女性の頭に大きな黒いリボンが特徴

民族衣装は、日本でもアルザス土産として人気のある、
郷土イラストレーター兼画家のHANSI
(アンジィと発音しますが日本ではハンジで知られています)
のかわいい絵のモチーフにもなっています。

🥨アルザシエンヌの民族衣装の説明。

同じアルザス地方と言ってもコルマールの方のHaut-Rhin(オ・ラン)県では
この大きな黒いリボン帽(« grand papillon noir »ビッグブラックバタフライ)
はかぶっておらず、
ストラスブールエリアの
Bas-Rhin(バ・ラン)県の方で主にかぶっていたみたいです。

今ではひっくるめてアルザス地方のシンボルになっていますが。。
村や地域、未婚、既婚、
プロテスタントとカトリックでもコスチュームに微妙な違いがあるみたい。

アルザス地方はドイツ時代の影響で、
フランスで一番プロテスタントが多い地域でもあります。
14時になり、いよいよ結婚式の婚礼パレードがスタート!
Sûzel(スゼル)さん。

Fritz(フリッツ)さん。

かわいらしい子供たち。



ドレスを着た女性たちも。婚礼のゲスト役?

アルザシエンヌとアルザシアンの人形に、
アルザス名物のお菓子パン「クグロフ」!
すごくかわいい!

なんと、本物の赤ちゃんまで引っ張られていました!

馬車の登場🐴



ベッドやタンスなどの家具を馬車が運んでいました。
これは婚礼家具ではなく、
「豊かさ」や「富」を祈ってのことみたい。



そして一行は教会前の広場の壇上に上がり、
市長による婚礼の式と、
友人であるユダヤ教ラビDavidへブドウ園を譲渡するセレモニーへ🍇

この後、長い話が続き市長が「Article〇〇、Article〇〇」と読み上げるのですが、
これは結婚に関する民法で、
1804年にナポレオンが制定した「コードシビルナポレオン」と呼ばれるものです。
妻は夫の許可がないと勝手に旅行に行ってはいけないなど、
当時はかなり封建的な内容になっていたみたいです。


ナポレオン以前、フランスには民法がなかったためで、
そのため今現在も、もちろん法律の内容は時代によって変化していますが、
コードシビルナポレオンはフランスの民法に使われています。

キスの場面は帽子で隠して見せなかったフリッツとスゼルさん(笑)💋

フランスでは現在も結婚式は、
市庁舎でConseil municipal(市議会員) 
立ち合いのもと行わなければいけないのですが
(有名人やすごく小さな村だと市長自らが出てくることもありますが・・)
分厚い辞書みたいな本を片手に助役が結婚に関する民法を読み上げます。

証人も2名が市役所で立ち合わなければならず、
日本の紙切れ1枚で結婚・離婚できるのとは重みが違います。
(離婚もすべて裁判所を通すことになっています。)

この習慣は1792年に決まったみたいです。

💒結婚式が終わり、教会に向かう一行。

フランスではキリスト教徒は市庁舎の婚礼の間での結婚のあと、
教会でも式を行うのが一般的です。

余談ですが、60年代に初めてオペラ「友人フリッツ」
が日本公演を大阪で行ったときのタイトルは
「アルザスの女ぎらい」(爆)
女嫌いと独身主義者は違うよなと・・

今はちゃんと「友人フリッツ」というタイトルになってるみたいですけどね。



教会に到着🔔

中はこんな感じになっていました。
バスの時間があったので、教会での婚礼は見ずにこの後帰途に。
マーレンハイム村が1年で一番賑わう日。。
暑かったけど、とても楽しいお祭りでした!

婚礼祭りから話はそれますが、
お祭り会場のPlace de la Liberteリベルテ広場から住宅街を抜けて
ぶどう畑の階段を登って行ったとこにある小さなチャペルも見て来ました。

階段をゴルゴダの丘に見立てているのかな?
日本の畑の一角にお地蔵さんみたいな感覚で、
🍇ワイン街道へ行くとよくぶどう畑の一角にキリスト像が立っています。
ランスでは、葡萄畑の一角に磔刑のキリスト像が建ってるのをよく見かけます。

日本でいうお地蔵さんみたいなもの?かなと。

アルザスワインになるリースリングの葡萄畑🍇

小さいながらも素敵な佇まいのチャペルです🔔

チャペルの中。





⛰はるか先のヴォージュ山脈まで見えて
素晴らしい高台からの眺め。


チャペルの中の籠に置かれていた写真。
何枚かあったので無料で取っていいとゆうことなのかな、
一応2€置いてもらってきました。

パレードの最中に配っていた麦の飾りをもらいました

家に帰ってFrance3のローカルニュースを付けたらお祭りのことがやっていて、
フリッツさんのインタビューの様子が映っていました!
2日間で1万人の来場者があったそう。

ストラスブール市内でも7月9日~9月3日までの毎週日曜日の午前中に、
Place Gutenberg(グーテンベルグ広場)で、
アルザスの民族衣装を着て踊る
フォークロアダンスを披露するイベントが開かれていますので、
夏にストラスブールにお越しの際はぜひ見てみてください。




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2017年5月22日月曜日

ケルトの移動とフランス / ヴォージュ山脈のローマ帝国遺跡、パワースポット・ドノン山 Celts et Le Donon dans les massif des Vosges Continental Celts


アメリカから友達が1週間遊びに来ていたので、
Vosges ヴォージュ山脈Le Donon ドノン山にランドネ
(randonnée ハイキング)に行ってきました。

ストラスブールから西へ40kmほど行ったところにあり、
車で高速飛ばしてうちから片道1時間ぐらいのところにあります。

ローマ帝国の建てたモニュメントのある山頂まで
駐車場から1時間ほどのトレッキングです。
ドノンにはケルト文化の遺石が残っており、
フランス西部のブルターニュのカルナック列石や
イングランドのストーンヘンジと並ぶパワーがあると言われています

私の興味はローマ帝国よりもケルトです(笑)


画像はWikipedia「Celts」セルト(仏語でケルトの意味)より。

プレ・ケルトのヨーロッパの歴史は不確実なままのようですが、
英語Wikiによるとヴォージュ山脈はケルト人の分布で、
黄色のエリアに入ってます。

黄色は分布の中でも一番古い、
Core Hallstatt territory, by the sixth century BCで、
紀元前6世紀ごろのケルト(ハシュタット)となっており、
ということはヴォージュ山脈の中のケルトの遺跡は
鉄器時代、紀元前(キリスト以前)500-600年あたりの間の
どこかで作られたものということでしょうか・・・。

ドノンには、ケルト文化の遺跡と、
今から約2千年ぐらい前のローマ帝国の遺跡が両方残されており、
ヴォージュ山脈がケルト人(大陸のケルト)のそれもかなり古い
(黄色い部分)'Celtic homeland’(ケルト祖国)
ハルシュタット文化を持つ地だったことをうかがわせます。

…  …  …  …  …  …  …  …  … 



☀️自然崇拝のケルトを嫌ったその後のローマ帝国の支配により、
ほとんどのケルトの遺跡は壊されていましたが、
ちょっとだけ残っていました。

大陸のケルトはこの後、西へ西へと逃げ、
フランスブルターニュ地方のカルナック列石を作り、
さらには海を渡ってイングランドまで移動したと思われます。


ヴォージュ山脈にはケルト以外にも、
北米に逃げたアーミッシュの故郷の村もあります。

スイスのドイツ語圏で迫害されたアーミッシュは、
ヴォージュ山脈の谷の村サント・マリー・オ・ミンあたりに
潜んでいましたが、
(日本の落ち武者が谷に逃げるのと一緒ですね)、
ルイ14世がカトリックを国教とするとまた迫害され、
さらに今度ははるか遠いペンシルベニアなどの北米にまで
逃れたと言われています。
そして今でも当時の暮らしを守っています。

アーミッシュの服装がこの辺りの昔の女性や子供たちの服装にそっくりで、
彼らの使用している聖書もアルザス語にそっくり
(よくペンシルベニアダッチはドイツ語に似てると言われていますが、
現代ドイツ語よりもアルザス語に似ています)

作っているキルトもアルザスのパッチワークの構図にそっくりで、驚いたことを覚えています。

さて、今回はアーミッシュではなく、
ケルトとローマ帝国がテーマのトレッキングですので話を戻します。

道はかなりごつごつしていて石だらけなので、
登っている距離は2.2kmなのでそんなに大したことはないのですが、
大きな石のせいでフラットより登るのは疲れます。(特に下り)

大雨で死んだのかスカラベの死骸がたくさんありました。

暑いぐらいの晴天で日差しがすごく強かったけど、
ブルーとグリーンのコントラストが綺麗✨

🪨人の手によって石が積まれていました。

ケルトの遺跡。
こちらは生贄の儀式が行われていた台みたいで大きいな石。

上はこんな感じ。
この上で処女や動物などの生贄を捧げていたのでしょうか・・・

この薄っぺらい三角形の石、これも絶対ケルトではないかな?

ブルターニュのカルナック列石に建ってるものに似てる。

特に記載はありませんでした。

ケルトが作った石垣。


第一次世界大戦でドイツの皇帝ギヨーム2世が作った石の階段。


ローマ帝国の遺跡。

元は下のようにメルキュールジュピターなど
ローマ神話のオリンポス12神の神々の彫刻が建っていたようです。
ドノンにあったローマ帝国の遺跡のいくつかはストラスブール市内の美術館
にある考古学コーナーに飾られているみたいです。

昔はこんな感じだったぞという説明のプレート。

いよいよ山頂のモニュメント(ローマ帝国遺跡)が見えてきました。

ローマ帝国の遺跡跡

当時の様子


大きな石のテーブルみたいなギリギリのところで日光浴してる人たちがいました。
この石はケルトなのかなぁ・・・。

石の下。
🌈太陽光が綺麗な光の輪になりました!

ヴォージュ山脈から平原を望む。
ヴォージュはアルザス地方とお隣ロレーヌ地方にまたがっています。

いよいよ本日のハイライトへ到着。

ライアングルの棒みたいのを両手に持った
チャネリング中のヒーラーさん(?)なのか、
ヨガインストラクター風のカップルが寝っころんだり、
棒を持って周辺の波動を調べていました。

石のテーブルの上はこんな感じでとっても眺めがいい。




裏はぞんざいな感じに積まれています。

一度倒壊したようで、1869年に積み直しされたようです。
表にMUSEE(ミュゼ)と書かれていますが、
ローマ帝国が書いたものではなく、
積み上げた人が美術館にしたくて書いたようですが、
モニュメントの中に入れたものはほとんど盗まれたとのこと。
近くで見つけた彫像などを飾ってたのでしょうか・・・。

ポジティブな山のエネルギーとは裏腹に、
駐車場からちょっと登ったとこにはStruthof が見えました(左上)

ここは、第二次世界大戦中、ナチスの強制収容所があったところで、
主に政治犯やレジスタント、ジプシー、同性愛者が収容されていたそうです。

キャンプ跡は見学することも可能になっています。
複雑な思いで遠くを眺めました・・・





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