アメリカから友達が1週間遊びに来ていたので、 Vosges ヴォージュ山脈のLe Donon ドノン山にランドネ (randonnée ハイキング)に行ってきました。
ストラスブールから西へ40kmほど行ったところにあり、 車で高速飛ばしてうちから片道1時間ぐらいのところにあります。
ローマ帝国の建てたモニュメントのある山頂まで 駐車場から1時間ほどのトレッキングです。
ドノンにはケルト文化の遺石が残っており、 フランス西部のブルターニュのカルナック列石や イングランドのストーンヘンジと並ぶパワーがあると言われています
私の興味はローマ帝国よりもケルトです(笑)
画像はWikipedia「Celts」セルト(仏語でケルトの意味)より。
プレ・ケルトのヨーロッパの歴史は不確実なままのようですが、 英語Wikiによるとヴォージュ山脈はケルト人の分布で、 黄色のエリアに入ってます。 黄色は分布の中でも一番古い、 Core Hallstatt territory, by the sixth century BCで、 紀元前6世紀ごろのケルト(ハシュタット)となっており、 ということはヴォージュ山脈の中のケルトの遺跡は、 鉄器時代、紀元前(キリスト以前)500-600年あたりの間の どこかで作られたものということでしょうか・・・。 ドノンには、ケルト文化の遺跡と、 今から約2千年ぐらい前のローマ帝国の遺跡が両方残されており、 ヴォージュ山脈がケルト人(大陸のケルト)のそれもかなり古い (黄色い部分)'Celtic homeland’(ケルト祖国) ハルシュタット文化を持つ地だったことをうかがわせます。 … 。… 。… 。… 。… 。… 。… 。… 。… 。 ☀️自然崇拝のケルトを嫌ったその後のローマ帝国の支配により、 ほとんどのケルトの遺跡は壊されていましたが、 ちょっとだけ残っていました。
大陸のケルトはこの後、西へ西へと逃げ、 フランスブルターニュ地方のカルナック列石を作り、 さらには海を渡ってイングランドまで移動したと思われます。
ヴォージュ山脈にはケルト以外にも、 北米に逃げたアーミッシュの故郷の村もあります。
スイスのドイツ語圏で迫害されたアーミッシュは、 ヴォージュ山脈の谷の村サント・マリー・オ・ミンあたりに 潜んでいましたが、 (日本の落ち武者が谷に逃げるのと一緒ですね)、 ルイ14世がカトリックを国教とするとまた迫害され、 さらに今度ははるか遠いペンシルベニアなどの北米にまで 逃れたと言われています。
そして今でも当時の暮らしを守っています。
アーミッシュの服装がこの辺りの昔の女性や子供たちの服装にそっくりで、 彼らの使用している聖書もアルザス語にそっくり (よくペンシルベニアダッチはドイツ語に似てると言われていますが、 現代ドイツ語よりもアルザス語に似ています) 作っているキルトもアルザスのパッチワークの構図にそっくりで、驚いたことを覚えています。 |
さて、今回はアーミッシュではなく、 ケルトとローマ帝国がテーマのトレッキングですので話を戻します。
道はかなりごつごつしていて石だらけなので、 登っている距離は2.2kmなのでそんなに大したことはないのですが、 大きな石のせいでフラットより登るのは疲れます。(特に下り)
大雨で死んだのかスカラベの死骸がたくさんありました。
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暑いぐらいの晴天で日差しがすごく強かったけど、 ブルーとグリーンのコントラストが綺麗✨ |
🪨人の手によって石が積まれていました。 |
ケルトの遺跡。
こちらは生贄の儀式が行われていた台みたいで大きいな石。
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上はこんな感じ。
この上で処女や動物などの生贄を捧げていたのでしょうか・・・
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この薄っぺらい三角形の石、これも絶対ケルトではないかな?
ブルターニュのカルナック列石に建ってるものに似てる。
特に記載はありませんでした。
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ケルトが作った石垣。 |
第一次世界大戦でドイツの皇帝ギヨーム2世が作った石の階段。 |
ローマ帝国の遺跡。
元は下のようにメルキュールやジュピターなど ローマ神話のオリンポス12神の神々の彫刻が建っていたようです。 ドノンにあったローマ帝国の遺跡のいくつかはストラスブール市内の美術館 にある考古学コーナーに飾られているみたいです。
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昔はこんな感じだったぞという説明のプレート。 |
いよいよ山頂のモニュメント(ローマ帝国遺跡)が見えてきました。 |
ローマ帝国の遺跡跡 |
当時の様子 |
大きな石のテーブルみたいなギリギリのところで日光浴してる人たちがいました。
この石はケルトなのかなぁ・・・。
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石の下。
🌈太陽光が綺麗な光の輪になりました!
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ヴォージュ山脈から平原を望む。
ヴォージュはアルザス地方とお隣ロレーヌ地方にまたがっています。
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いよいよ本日のハイライトへ到着。
トライアングルの棒みたいのを両手に持った チャネリング中のヒーラーさん(?)なのか、 ヨガインストラクター風のカップルが寝っころんだり、 棒を持って周辺の波動を調べていました。
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石のテーブルの上はこんな感じでとっても眺めがいい。 |
裏はぞんざいな感じに積まれています。
一度倒壊したようで、1869年に積み直しされたようです。
表にMUSEE(ミュゼ)と書かれていますが、 ローマ帝国が書いたものではなく、
積み上げた人が美術館にしたくて書いたようですが、 モニュメントの中に入れたものはほとんど盗まれたとのこと。
近くで見つけた彫像などを飾ってたのでしょうか・・・。 |
ポジティブな山のエネルギーとは裏腹に、 駐車場からちょっと登ったとこにはStruthof が見えました(左上)
ここは、第二次世界大戦中、ナチスの強制収容所があったところで、 主に政治犯やレジスタント、ジプシー、同性愛者が収容されていたそうです。
キャンプ跡は見学することも可能になっています。
複雑な思いで遠くを眺めました・・・
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